2009年10月31日

天理教

私はミュージカルが好きである。
みんなで踊ったりうったたりして生きていきたい。

自分が死んだ時もみんなうったたり踊ったりと
楽しいお葬式をプロデュースしたい

しょうがねー、いくか
とか義理の気持ちで出かけるのではなく
お葬式楽しいよね!!
いいなーお葬式何だ
なんて言われるような世界になってほしい


そこでそんなひとにぴったりな宗教が
天理教
である

天理教のお葬式では
信者みんなで踊ったり歌ったり
太鼓叩いて大賑わいである


他の宗派の人が葬式に行くと
思わず悲しい気持ちのはずなのに
笑ってしまう
という大評判の宗教なのである


また天理教で忘れていけないのが
天理ラーメンである
天理ラーメン
歌って、踊ってさらにラーメン

”貧乏でも楽しく”がもっとー
の天理教
いま入信すれば天理ラーメン半額だ
posted by ブログ無限会社2600 at 16:12| Comment(0) | 幕末三大新宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

金光教

なんとなく実家のおばちゃんが経営する
古狸里
という伊東キネマ通りを外れたところにある居酒屋
のとなりの建物を撮影

金光教

金光教
ずいぶんお金が儲かりそうな名前である。

伊豆のちんけな宗教だろうと思っていたが
前回黒住教をしらべた際に
黒住教、天理教と共に幕末三大新宗教
ということが発覚!!

本拠地は黒住と同じく岡山
幕末に急に宗教が増えるなんて
岡山の人は何を迷っていたのでしょうか?

読み方は
コンコウキョウ
当然
カネミツキョウと呼んでいたが間違えだった。

他の全ての宗教を否定しないという特徴を持つ
そうなので宗教戦争に発展しない優しい宗教と言えよう。




これ以降は金光教がめちゃくちゃ叩かれていた記事の抜粋です
■本尊は、あるのかないのか
この教団にはまともな教義らしきものがほとんど無く、したがって本尊についても、正直なところ明確な対象が定まっていません。
一応は、「天地書附(てんちかきつけ)」なるものを拝みますが、これも実際には本尊というよりは、拝む「目当て」ぐらいにしか考えていないようです。もともとが、信仰の対象として「絶対なる本尊が必要である」という教えがないからです。
信徒必携の『金光教の信心』には、
「親神のご神徳は天地宇宙に満ちあふれているから、どちらを向いて拝んでも神に心は届く」
「しかし、神を拝むには目当てがないと拝みにくい。柱でも、壁でも、生木でも、ここを御神体じゃと定めて拝めばよいのである」
などと書かれています。
要するに金光教というのは、原始宗教的な自然崇拝・庶物信仰に近い、低級な宗教であることが明白です。
■教義は、あるのかないのか
金光教は、立教から140年以上たっています。しかしこの教団が教典らしきものを作ったのは昭和58年、「教祖100年祭」に至ってようやく、です。
要するに、この教団には教義と呼べるようなものは存在しないのです。すべては取次による神の言葉「お知らせ」がすべてであり絶対で、日常生活のすべてを神の命ずるままに行動せよと教えているだけです。
その神というものも、もともとは単なる俗信上の祟り神だった「金神(こんじん)」を、立教15年にしてやっと「天地金乃神(てんちかねのかみ)」なる名称に決定し、しかもいつの間にか「全人類を救う神」に勝手に昇格させたものです。この金光教の主張にはまったく一貫性がなく、こんないい加減なものを信じてどうなるのでしょうか。 それに、その「取次」というのも、またいい加減で、
「教祖がある時『お神酒をつけて接(つ)げば、割れた茶碗でも接げる』と言った。ある人が『それでは、私もいたしましょうか』と伺うと、教祖は『それでは茶碗接ぎの仕事がなくなって、飢えてしまう』と答えた」(教典)
などという馬鹿馬鹿しいものです。所詮は人間の単なる思いつきの言葉でしかなく、こんなものに日常生活のすべてをゆだねても、誰も幸せになどなれません。
■神がかりは精神分裂と同じ
金光教や大本など、新興宗教に多く見られる「神がかり信仰」ですが、この「神がかり」というのは何なのでしょうか。
精神医学では、この神がかりというものを「憑依妄想(ひょういもうそう)」と呼び、人間の主体性が失われて起こる「精神分裂病の一種」としています。
もし皆さんの家族がこのような状態になって「私は神のお告げを受けた」などと口走ったら、どう思いますか? 普通は「早く病院に連れて行かなきゃ」と大騒ぎになるでしょう。「神のお告げを受けたとは、何と素晴らしいことでしょう」などと信じる方がどうかしているわけです。
このような精神錯乱・精神分裂の妄想が出発点となっている宗教など、まともに信ずるに値(あたい)しませんし、誰もこれで救われることなどありません。

以上、ごく簡単ではありますが、金光教の教義についてその邪宗教である理由を述べました。皆さま方におかれましては、このような邪法邪師の邪義に惑わされることがありませんよう、くれぐれもご注意願いたいと思います。
参考:信じる者は救われない


さすが自分以外の宗教を語るときは
ボロクソに言うのが
大半の宗教のやり方のようです。
posted by ブログ無限会社2600 at 15:19| Comment(0) | 幕末三大新宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黒住教

鳥取で日蓮宗の南無阿弥陀仏を聞いたのち
すでに帰宅が不可能だったので同じく鳥取の友人宅に泊まる

私「あなたも日蓮宗なの?」
友人「うちはなんだっけ、くろずみきょう?」

黒墨教?
とはずいぶん黒そうな名前である

私「どんなお教となえんの?」
友人「かしこみ、かしこみ、まおさく」

かしこみかしこみまおさく

かなり独特なお教

後で調べてみると
黒住教
岡山県岡山市今村宮の神官、黒住宗忠が江戸時代に開いた教派神道で、神道十三派の一つである。同じ江戸時代末期に開かれた天理教、金光教と共に幕末三大新宗教の一つ
太陽を食べるような気持ちで拝むとのこと


神道だったのね
しかし、裏側の岡山から鳥取(米子)に布教が進んでいるとは
JR特急やくも
の力は偉大である。

黒住教のありがたいお言葉を一つ
「無病の時家業おこたりの事」恐るべし 恐るべし」
意味:ニート禁止、ニートは恐ろしい 恐ろしい

タグ:黒住教
posted by ブログ無限会社2600 at 15:05| Comment(0) | 幕末三大新宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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